とんまな小室哲哉/中田ヤスタカ対談を勘ぐってみる:
小室哲弥をどうも理解できない者の独り言、、なのだが
中田ヤスタカについてネットをいろいろ見ているうちに見つけたのが次の記事。ずいぶん前だが、雑誌で小室哲哉と中田ヤスタカとの対談があったようだ。 いつもお世話になっているブログ「Aerodynamik - 航空力学」より
中田ヤスタカ「どんなシンセかも調べずに、インテリアとしてEOS B700を買った」@Sound & Recording Magazine 2011年10月号 http://aerodynamik.hatenablog.com/entry/20111028/p1
中田ヤスタカを第2の小室哲哉、と例える人もいるようなのだが、これにはかなり違和感を感じている。この記事を読むことで、 その違和感や、ボクが小室をどうも理解できない理由の一つがわかったような気がした。
もっとも小室をきちんと聴いたことはなく、安室や浜崎を小耳に挟んだぐらいなので、ボクの一方的な決めつけかもしれない。
また、残念ながらこの対談は読んでいないので、このブログの記事だけで判断している。
(小室)「『575』は1990年代だったら多分100万枚売れていただろう」
と曲をほめている。ようだが・・
■どうして『575』なのだろう?
というのは、 ボク的には 『575』は中田ヤスタカの代表曲とは言えないと思うから。(ファンならもっと他に挙げたい曲があるのでは) 『ドリーム・ファイター』なら1000万枚ぐらい売れるんじゃないか?(笑)
■曲の善し悪しではなく、この曲ならこのぐらい売れると、言っているだけ。
これは褒め言葉なのだろうか?少なくともボクがこう言われたら、気分が悪いわけではないが、うれしいとは思わないだろう。せめて、スッゲーいいよと言ってもらった方がいい。
つまりだな、この小室という人は、売りいき、ビジネス、儲けで判断する商業主義な人なのではないか?
「小室哲哉がヤスタカを認めたのはPerfume『575』を聴いてからで、それは歌詞を五七五にする発想が小室自身になかったから」
5+7+5という発想を褒めるのはメチャかっこ悪い。
というのは日本語の歌詞は7文字,5文字を1節として区切るのがおさまりがいい、というのがよく知られた セ オリーだからだ。(少なくとも音楽のプロではないボクが知っているぐらい)
古い唱歌などでは7,5になっているものが多いが、最近のものでもそれに近いものがある。 だから、5+7+5で歌詞を書くのは、それほどたいした発想ではないと思う。
最近の曲では、こんな感じ。数え方にちょっと無理があるかもしれないが(^_^;。
Tofubeats ディスコの神様 http://j-lyric.net/artist/a057613/l031321.html
24時の向こう側 -> 7 + 5 時計の針も空回り > 7 + 5
世界はめっちゃ広いけど -> 7 + 5
デスクからさえ動けない yeah -> 7 + 5
すり切れちゃう寸前のオートリバース -> 5 + 5 + 7
サボってうたた寝してるようじゃ OH MY GOD - > 7 + 5
暇で死んじゃいそうな僕を助けてよ MUSIC -> 7 + 5
不景気だとか世知辛いことばっかで *> 7 + 5 + 5
息が詰まるのさ WOW *->7 *
ということで、小室の発言がなぜこんなことになったのは・・・
おそらくは、小室は中田ヤスタカの曲は、これしか聴いたことがなかったのだろう(苦笑)。 たぶん、これだ。
あるいは 5+7+5という目新しい(彼にとっては)歌詞と、その後のラップという「形式」がお好みだった(音楽の中身ではなく)なのかもしれない。
ボクが小室の音楽がよくわからないのは、こうした音楽への不誠実さというか「あざと感」が感じられるかもしれない
from blog “ DはデジタルのD ”
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