水曜日, 7月 12, 2017

『違和感がある』には違和感を感じる

『違和感がある』には違和感を感じる:

ボクだけなのかもしれないが、TVなどで『違和感がある 』と言っていると違和感を感じる。

「ある」、ということは、、違和感ってその辺に転がっているものなのか? ほんらい、「感」なのだから、その人が『感じている』ということでしょう。

ここでの「ある」と言う表現は、一般的に存在している、皆が認めている、と言うことではないのかな。 でも、ほんとうはその人だけが感じていることだったりする。

そういう人が、「違和感がある」と表現するのは、 自分が感じているということをぼかして皆が思っているんだ、一般的にこうなんだ、(だから)自分が主体的に考えているんじゃない、と暗に伝えているのはないか、と思える。

一種の責任回避だ。 ボクとしては「違和感を感じる」と表現して違和感を感じている「主体」(=自分)を明らかにして話したいと思う。

細かい言葉を気にするオヤジの時代遅れな単なるうるさいエントリーと思うが、実は言葉はいつも新しくなるんだから言葉や表現は変わっていいと思う。

ただただ、    この「責任回避」的なニュアンスががとても気になる なんだ。



from blog “ DはデジタルのD ”
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